サントリー創業者 鳥井信治郎はどんな人物?歴史と手掛けたウイスキー銘柄を紹介
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今や世界的な人気を誇るジャパニーズウイスキー。そのカテゴリーを築き上げた人物「鳥井信治郎」を聞いたことはありませんか?
彼はウイスキー模造酒があふれた時代にいち早く本格ウイスキーに取り組み、本格ウイスキーの魅力を日本に広く浸透させた立役者として知られています。
今回は、ジャパニーズウイスキーを語るうえで切り離せない「鳥井信治郎」について詳しく紹介していきます。
ジャパニーズウイスキーに関わる重要歴史人物を知りたい方はぜひ参考にしてみてください。
目次
サントリー創業者 鳥井信治郎とは?
鳥井信治郎は、寿屋(現サントリー)を創業させた人物です。まだ本格ウイスキーが日本で浸透されていない時代にウイスキー醸造を先駆けで行い、ジャパニーズウイスキーの基盤を固めた人物として知られています。
日本人に合う味覚の洋酒をとことん追求し、これまで手掛けた「サントリーウイスキー 角瓶 」をはじめ、「赤玉ポートワイン」や「サントリーオールド」、「サントリーローヤル」などの銘柄は現在も愛され続けています。
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鳥井信治郎の人物像
鳥井信治郎は大阪の鼻と呼ばれるほど、匂いのかき分けが得意だったそうです。匂いかいだだけでタバコの銘柄を当てた!きき酒コンクールで同席者を圧倒させた!など、鋭い鼻の感性を掌る逸話をたくさん持っています。
またどんな苦境に立たされても立ち向かい、挑戦に恐れないチャレンジ精神力の持ち主です。失敗してもいいからとにかく挑戦していく、そんな社風をサントリーに根付かせました。生前はよく口にした「やってみなはれ」という名言は、現在も世代を超えて広く知られています。
鳥井信治郎の歴史
では、鳥井信治郎はどんな人生を送ってきたのでしょうか。つぎに、鳥井信治郎の歴史を振り返っていきます。
1879年1月30日、鳥井信治郎は両替商・鳥井忠兵衛の次男として大阪に生まれました。
1890年に大阪商業学校に入学し、92年に小西儀助商店に入店します。この時にウイスキー模造酒と呼ばれるイミテーション・ウイスキーの調合技術を習得していきます。
1899年に大阪で鳥井商店を開業します。日本人の味覚に合った洋酒をつくりたい一心で、8年後の1907年にサントリーを代表する甘味ぶどう酒「赤玉ポートワイン」を発売し、大ヒットさせます。
1921年、業績の好転に伴い、鳥井信治郎はサントリーの前身にあたる寿屋を創業し、社長に就任します。
1923年、ウイスキーの本場スコットランドで留学経験を積んだ「マッサン」こと竹鶴政孝を招き、二人三脚で本格ウイスキー造りに乗り出します。そこで、スコットランドの環境に近い大阪府島本村山崎を探し当て、ウイスキー蒸留所「山崎蒸留所」を建設させました。
1929年、日本初となる本格国産ウイスキー「サントリーウイスキー 白札」が誕生。これにより、鳥井信治郎はのちにジャパニーズウイスキーの生みの親と呼ばれるようになります。
ところが日本初の本格ウイスキー「白札」はピート臭が強くて、日本人に受け付けてもらえませんでした。次にブレンドの比率を変更し、廉価版として「サントリー 赤札」を発売するもまた失敗に終わりました。
1934年、竹鶴政孝氏が寿屋を去ります。竹鶴政孝から伝授された知識をお手本に、鳥井信治郎は長男の吉太郎と共にウイスキー造りに励みます。
1937年、試行錯誤の末に生まれたのが、日本人の味覚に合うウイスキー「サントリーウイスキー12年」です。また「海軍指定品」と定められたこともあり、サントリーのウイスキーは順調に売り上げを伸ばしていきます。現在は、角瓶の愛称で親しまれています。
1940年ノリに乗った鳥井信治郎は、角瓶に続き「サントリー オールド」を発売します。しかし、贅沢品と指定されたことで当時ではあまり流通しなかったそうです。その後、高度経済成長期のライフスタイルの洋風化と消費者の高級志向に弾みがつき、ようやく受け入れるようになったのです。
そして同年には、悲しい出来事がありました。鳥井信治郎の長男が33歳の若さで亡くなり、鳥井信治郎は深い悲しみに陥りました。
さらに翌年には太平洋戦争が勃発し、鳥井信治郎は本社社屋を空襲で失います。しかし、苦難続きだったにも関わらず、鳥井信治郎は再びウイスキー造りに奮起します。
1960年、鳥井信治郎は初代マスターブレンダーを務め、日本人が美味しいと感じるウイスキーの黄金比率を考え、渾身の傑作となる最高級ウイスキー「サントリーローヤル」を打ち出します。当時の高級ウイスキースタイルを確立させました。
1961年、鳥井信治郎はサントリーの会長に就任し、第一線を退きます。2代目社長となったのが、鳥井信治郎の次男佐治敬三氏でした。
1962年2月20日、鳥井信治郎は急性肺炎で死去。享年は83歳でした。洋酒造りにのめり込むこと数十年、ウイスキーと共に歩んできた生涯だったといえるでしょう。
年表一覧
1979年 | 鳥井忠兵衛の次男として大阪に生まれます |
1890年 | 大阪商業学校入学 |
1892年 | 小西儀助商店でイミテーション・ウイスキーの調合技術を習得 |
1899年 | 鳥井商店を創業 |
1907年 | ヒット商品赤玉ポートワインを発売 |
1921年 | サントリーの前身にあたる寿屋を創業 |
1923年 | 竹鶴政孝と山崎蒸留所を建設 |
1929年 | 日本初の本格ウイスキー「白札」が誕生 |
1934年 | 長男吉太郎とウイスキー造りに励む |
1937年 | 角瓶で親しまれるサントリーウイスキーを発売 |
1940年 | サントリーオールドを発売 |
長男吉太郎が亡くなる | |
空襲で本社を失う | |
1960年 | 初代マスターブレンダーを務めるサントリーローヤルを発売 |
1961年 | サントリーの会長に就任 |
1962年 | 83歳で人生に幕を閉じた |
鳥井信治郎が手掛けた銘柄
ウイスキー業界に大いに貢献した鳥井信治郎が生前手掛けていた銘柄は現在も絶大な人気を集めています。
どんな銘柄があるのか、紹介していきます。
サントリー 赤玉スイートワイン
当時は薬用酒として販売しており、国内ワイン市場の60%を占めるほどに急成長を遂げた寿屋の看板商品です。発売当初は国内初のヌードポスターを採用し、国中を驚かせました。
その後はワインに位置づけられる「赤玉」に生まれ変わり、発売から110年以上経った現在も、日本人の味覚にあわせた甘さと酸の絶妙なバランスな味わいが人気を集めています。
また飲みやすいと定評もあり、サントリーの原点を感じさせてくれる商品です。
サントリーウイスキー 角瓶
鳥井信治郎が日本人の舌に合うように造られたウイスキー。飲食店でも提供されている銘柄で、飲んだことあるという方も多いのではないでしょうか?
ラインナップは180ml瓶、700ml瓶のほか、大容量のペットボトルタイプもあります。
中味は、山崎蒸留所と白州蒸留所のバーボン樽原酒を黄金比率で配合しており、甘い香りと厚みのあるコクが特徴。ハイボールにすることでより角瓶の良さが引き出され、爽やかにいただける商品です。
サントリーウイスキーオールド
サントリーウイスキーオールドは、1940年に誕生したウイスキー銘柄です。丸み帯びたボトルから、別名「ダルマ」や「タヌキ」という愛称で親しまれています。
50~60年代までは中元歳暮の時期を除いて店頭に並ぶことがないため、「出世してから飲む酒」の象徴として多くの方が憧れていたお酒でした。
その後、高度経済成長期の波に乗り、ますます拡大する贅沢品の需要にあわせて打ち出したインパクトのある広告が功を奏し、サントリーオールドは家庭にも浸透するようになったのです。
現在は発売当時のボトルデザインを守りながら、高級感のある質感にこだわっています。味わいはシェリー樽を強化しているため、まろやかな味わいが特徴。ラインナップはスタンダードな「オールド」のほか、干支をあしらったラベルやボトルデザインを豊富に取り揃えています。
サントリー ローヤル
高級ウイスキーの代名詞となった「サントリー ローヤル」。発売から40年以上が経った今もなお根強い人気を誇っています。
ボトルデザインは鳥井信治郎が考案し、漢字の「酒」のつくりの部分、「酉」をかたどっているそうです。また「酉」には、十二支の十番目の「とり」という意味も持つと同時に、酒器の意味も持ち合わせています。
キャップには緩いカーブがかかっており、山崎蒸溜所の奥にある神社の鳥居にちなんでいます。かなり趣向を凝らしたデザインとなっています。
ラインナップは、ローヤル12年のほか、ローヤル15年があります。甘く華やかな香りが特徴で、なめらかな口当たりとすっきりとした余韻が楽しめるウイスキーです。
まとめ
今回は、サントリーの創業者 鳥井信治郎について紹介しました。鳥井信治郎がいなかったら、現在のジャパニーズウイスキーというカテゴリーも成しえなかったといえるでしょう。
鳥井信治郎の歴史を振りながら、ぜひサントリーウイスキーを味わってみては?
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