「高峰 譲吉」の麹ウイスキーの特徴や歴史、味わいを解説
※当メディアの記事で紹介している一部商品にはAmazonアソシエイト、楽天アフィリエイトなどのアフィリエイトプログラムが含まれています。 アフィリエイト経由での購入の一部は当メディアの運営等に充てられます。
ジャパニーズウイスキーの始まりといえば、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏を想像する人も多いでしょう。
しかし竹鶴氏がスコットランドでウイスキーの修行する30年以上も前に、アメリカでウイスキー造りに夢をかけた日本人がいました。
彼の名は高峰譲吉(たかみねじょうきち)博士。タカジアスターゼやアドレナリンを発見した歴史的にも有名な人物です。
彼は実家が日本酒の酒蔵ということもあり、麹を使ったウイスキーを造るために奮闘していました。
今回は高峰譲吉博士の麹ウイスキー造りの歴史や特徴、味わいを徹底解説します。
また、以下記事にて、初心者の方でも飲みやすいウイスキーの選び方をご紹介しています。
ウイスキーの特徴について知りたい人は、本記事とあわせてぜひ参考にしてください。
参考記事:【おすすめ銘柄10選】飲みやすいウイスキーを徹底比較
目次
高峰譲吉(たかみねじょうきち)とは
高峰譲吉博士は、富山県高岡市生まれの科学者・実業家です。
タカジアスターゼやアドレナリンを発見し、世界で初めてホルモンを抽出した人物として知られています。
アドレナリンは医学的にも重要なホルモンで、彼の活躍により世界の医療は大きく変わりました。
また彼の実家は日本酒の酒蔵で、麹の可能性にも気づいたそうです。そのためアメリカで麹のウイスキーを造ろうと尽力した人物でもあります。
高峰譲吉とウイスキー造りの歴史
高峰譲吉氏の生い立ちからウイスキー造りまでの歴史を解説します。
誕生から結婚まで
高峰氏は1854年に富山県高岡市で生まれました。
父親は医師、母親は造り酒屋ということもあり、幼い頃から科学への興味を持っていました。
12歳で加賀藩から選抜されて長崎に留学し、海外の文化や科学に触れます。
16歳になると大阪医学校に入学。その後、工部大学校(東京大学工学部)応用化学科を首席で卒業します。この頃には、科学への探究心はますます強くなっていました。
1880年からイギリス・グラスゴー大学へ留学。スコットランドに渡った高峰氏は、モルト(大麦)の発酵について学び、「麹の発酵の方が効率が良いのではないか」と気付きます。
後に、麹を使ったウイスキーの製造方法「高峰式元麹改良法」を確立しカナダやフランス、ベルギーなどで特許を取得しています。
大学卒業後は、農商務省に就職。1884年にアメリカ・ニューオリンズで開催された万国工業博覧会に派遣され、キャロライン・ヒッチと出会い、結婚することとなりました。
起業、そして麹ウイスキー造り
1886年になると、東京人造肥料会社(日産化学)を設立します。
当時は「高峰式元麹改良法」特許をアメリカで出願中でした。すると興味を持ったアメリカの企業から連絡があり、1890年からアメリカに飛びます。
アメリカに到着すると麹ウイスキーの研究所を設立し、麹ウイスキーの製造に取り掛かりました。
麹ウイスキーへの反感
麹を活用したウイスキーに注目が集まり始めると、モルト職人たちから反感を買いはじめます。モルト職人たちは職がなくなることを恐れたのです。
そこで高峰氏は麹ウイスキーにモルト職人を採用し、前よりも高い賃金で雇うことで和解。
ところが、他の蒸溜所のオーナー達からの反感は治まらず、高峰氏の暗殺が計画されます。
麹ウイスキーの研究所のある、イリノイ州ピオリア地区には12の蒸留所がありました。アメリカンウイスキー生産の95%を占めており、麹ウイスキーの開発は障害となっていたのです。
そしてある夜、武装した集団が高峰氏と妻のキャロラインの家に侵入。この時、高峰氏は危険を察知していたため、地下に隠れて難を逃れます。
しかし、これに怒りを覚えた武装集団は、そのまま麹ウイスキーの工場に侵入し火を放ちます。工場と研究所は全焼し、高峰氏の麹ウイスキー造りは振り出しに。
その後も、反発は治らず麹ウイスキー造りの事業を取り止めることとなります。
麹ウイスキーの復活
高峰氏の麹ウイスキー造りは夢に終わります。
しかし福岡の蔵元「篠崎」が高峰氏の挑戦に感銘を受けていました。
篠崎は麦焼酎を製造する蔵元です。7代目篠崎博之氏が高峰氏の麹ウイスキーの製造方法を読むと、芋焼酎の製造と似ている部分があることに気付きます。そこで、高峰氏の夢を実現させるために麹ウイスキー造りに着手します。
まず麦焼酎の基礎を頭に叩き込み、麹ウイスキー造りの土台となる「樽熟成麦焼酎 千年の眠り」の開発に成功。
ところが日本の酒税法上、麹ウイスキーを「焼酎」「ウイスキー」としては名乗れませんでした。
なぜなら、焼酎の色には制限があります。焼酎はウイスキーに比べ、10分の1程度の色づけしか許されず、濃くなった場合は薄めるほか販売する方法がありませんでした。
また、ウイスキーの規定には「発芽させた穀類、水を原料として糖化させて発酵させたアルコール含有物を蒸留したもの」としています。一方で麴ウイスキーは、麴を用いて糖化するため、これもまたウイスキーを名乗れなかった要因となりました。
しかし篠崎では麹ウイスキーを味わってもらいたいと「リキュール」のカテゴリで商品開発を進めました。そこで誕生したのが「リキュール 朝倉」です。
そして2021年、アメリカ・ニューヨークにて「Takamine Koji Japanese Whiskey 8 Year Old(タカミネ・ウイスキー8年)」を発売。
アメリカ中から注目が集まり、現在はアメリカ15の州で販売されています。
樽熟成麦焼酎 千年の眠り
25年前に発売した麹ウイスキー造りの研究基盤となった麦焼酎。
こだわり抜いた大麦を原料に、雑味が残らないよう二度蒸留の製法を採用。蒸留後は、樫樽で4年以上じっくり熟成させて造られています。
そのためクリアな味わいが特徴で、ウイスキーを彷彿とさせる色味と風味がたまりません。
リキュール 朝倉
高峰譲吉博士の麴ウイスキーに着想した「朝倉」のもっともスタンダードな商品。
長年研究し尽くした2回蒸留製法で麦焼酎を抽出し、アメリカンホワイトオーク樽で最低でも8年間熟成して造られています。
黄金な色味と樽香、長期熟成させたまろやかな味わいが特徴。
ウイスキーにこそ名乗れないものの、リキュールカテゴリーだから味わえる樽取り立ての「麴ウイスキー」となっています。
Takamine Koji Japanese Whiskey 8 Year Old(タカミネ・ウイスキー8年)の特徴
この投稿をInstagramで見る
高峰博士の夢が詰まった麹ウイスキーは、どんな特徴があるのが気になりますよね。
篠崎が発売しているタカミネ・ウイスキー8年は、高峰氏が特許を取得した麹ウイスキーの製法で製造されています。
きょうかい2号酵母と白麹を使用し、ダブルポットスチルで2回蒸留後、新樽アメリカンオーク90%とEXバーボン樽10%の比率でブレンドしています。
度数は44度前後とやや高めですが、青々しい飲み口と深みのある味わいが特徴で、飲んだ人にしか分からない風味があります。
日本ではあまりお目にかかれない代物ですが、機会がある人はぜひ飲んでみてくださいね。
「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」の発明について
高峰譲吉博士は、医学界に革新をもたらした「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」を発明した人物でもあります。麹ウイスキーよりも、医学の分野で知っている人も多いでしょう。
高峰氏は麹ウイスキーを断念しましたが、「高峰式醸造法」の製造工程で「麹カビ」の研究も行っていました。
そこでアミラーゼの一種である酵素ジアスターゼの抽出し「タカジアスターゼ」を発見するのです。
タカジアスターゼは消化酵素として知られ、体内の食べ物を分解し消化吸収のサポートをしてくれるものです。そのためタカジアスターゼは胃腸薬として販売され、世界中で大ヒットを記録します。
また高峰氏が住んでいたシカゴは、アメリカでも有数の食肉製品の産地でした。高峰氏はこれに目をつけ、廃棄される家畜の内臓からアドレナリンの抽出にも成功。世界初のホルモン抽出例として話題を集めました。
アドレナリンは、アナフィラキーショックや止血剤として活用され、現代の医療には欠かせないものです。
この功績が称えられ、1899年に東京帝国大学から名誉工学博士号を授与されています。
その後は、タカジアスターゼの独占販売権を持つ第一三共の社長に就任。さまざまな事業を手がけていきます。
そして1922年7月、腎臓炎によってニューヨークで死去しました。
ウイスキーだけでなく、世界の医学に貢献した人物として、今でも多くの人に希望を与える人物です。
まとめ
今回は麹ウイスキーの開発に尽力した高峰譲吉博士について解説してきました。
ジャパニーズウイスキーが生まれる前に、アメリカで麹ウイスキー造りが行われていたなんで驚きですよね。
もし麹ウイスキーが誕生していたら、世界のウイスキー市場はどうなっていたのかも気になるところです。
この歴史を知って、さらにジャパニーズウイスキーへの知見を深めていってくださいね。
■この記事を読んだ方におすすめの記事 | |
【飲みやすい】白麹を使ったマイルド系焼酎おすすめ5選を紹介 | |
【初心者向け】飲みやすいウイスキーの選び方とおすすめ銘柄を10個厳選! | |
日本酒の選び方が変わる!?「きょうかい酵母」を徹底解説 |